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第 157 回

それぞれの立場の数だけ、それぞれの正義がある

十月に入った。奈良県の南西、五條市の西吉野。吉野川へ注ぐ丹生川に沿って、山あいの道を上っていくと、斜面という斜面に、柿の木が植えられている。九月の半ばに出荷が始まった刀根早生は、今が収穫の盛りである。山あいの寒暖の差に育まれた実が、緑の葉の間で、少しずつ橙に色づいていく。

その丹生川の谷あいに、賀名生(あのう)の里がある。里の一角に建つ、茅葺き屋根の大きな屋敷が、堀家住宅である。延元元年(一三三六年)、足利尊氏に京都を追われた後醍醐天皇は、吉野へ向かう途中、この地の郷士、堀孫太郎信増の屋敷に身を寄せたと伝えられる。屋敷はのちに、後村上・長慶・後亀山の三代の天皇の皇居となった。今の主屋は、室町時代の後期に建てられたものとされ、国の重要文化財に指定されている。都には北の朝廷、山深い大和には南の朝廷。二つの朝廷が並び立った、南北朝の時代のことである。

この地は、もとは「穴生(あなふ)」と呼ばれていた。後村上天皇は、南朝の願いを込めて、これを「叶名生(かなふ)」と改め、のちに、願いが叶ったことを祝って、「賀名生」の字をあてたという。そして正平七年(一三五二年)、北朝の光厳・光明・崇光の三人の上皇と、かつて皇太子だった直仁親王が、南朝の手で、この賀名生へと移された。同じ年、光厳上皇は、この山里で出家した。

人にはそれぞれ立場というものがある。

生きていると、時々その当たり前のことを忘れてしまう。

だから上手く行かなくなる。

決して、一方の立場にたって 相手の立場の人を指さすことなかれ。

相手には相手の言い分がある。

どちらが正しい・正しくないの話ではない。

それぞれの立場の数だけ、それぞれの正義がある。

大事なのは、お互いに相手のことを思いやること。

それが出来れば、ものごとが上手く回り始める。

光厳法皇が都へ戻ったのは、五年後のことである。晩年は、丹波の山あいの常照皇寺で、禅の修行に打ち込んだ。『太平記』は、僧となった法皇が、諸国をめぐる旅の途中、後村上天皇の御所を訪ねたと伝えている。天皇は、対面する前から涙を流し、二人は一日一夜、さまざまに語り合ったという。それが本当にあったことなのかどうかは、今もはっきりとはわかっていない。十月の西吉野では、今日も、柿の実がひとつ、またひとつと色づいていく。賀名生の茅葺きの屋根の上を、秋の雲が、ゆっくりと流れていく。

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