興福寺の境内の西のはずれに、北円堂という八角形のお堂がある。奈良時代の養老五年(七二一年)、興福寺を創建した藤原不比等の一周忌に、元明・元正の両天皇が、長屋王に命じて建てさせたものだ。このあたりは、かつて平城京を一望のもとに見渡せる場所だったという。都づくりを推し進めた不比等の霊を慰めるのに、これ以上ふさわしい地はなかったのだろう。今の建物は、承元四年(一二一〇年)ごろに建て直されたものだが、それでも、興福寺に残る建物のなかでは、もっとも古い。
ふだんは扉が閉ざされ、特別に開かれる時期にだけ、堂内に入ることができる。中央には、晩年の運慶が一門の仏師を率いて、建暦二年(一二一二年)ごろに完成させた、弥勒如来の坐像。そのかたわらに、二メートル近い二体の立像が立っている。インドの僧、無著と世親の兄弟である。兄の無著は老いた顔、弟の世親は壮年の顔。運慶の指導のもと、兄の像は運助が、弟の像は運賀が手がけた。八百年あまりを経た今も、まるで生身の人がそこに立っているかのようだと、評されることが多い。
二人は、四世紀から五世紀ごろ、ガンダーラ地方のプルシャプラ、今のパキスタンのペシャーワルに生まれた。弟の世親は、はじめ説一切有部という部派で学び、その学派で一番の学者として、名を知られるようになった。そして、兄の無著が説く大乗の教えを、批判していたという。
あなたのそばに、あなたが嫌いな人が1人や、2人は居るだろう。
その人のことを嫌いな理由は様々だろうが、 実は見落としがちなことがある。
それは、あなたが無意識に、その嫌いな人の中に 自分の嫌いな部分を見出しているから、 その人のことが嫌いなのかも知れないということ。
見たくない自分の嫌いな部分を、 あなたに見せてくるから、その人のことが嫌いなのかも知れない。
人は自分の鏡、 人の振り見て我が振りなおせ、 ではないが、その嫌いな人の嫌いな部分に 自分の嫌いな部分を見出すのなら、 正面から向き合って、自分の中のそれを改めれば良いのである。
そうすれば、もはやその嫌いな人のことも気にならなくなる。
そして不思議なことに、その人のことを嫌いでもなくなるだろう。
勇気を持って、自分自身と向き合おう。
真諦が訳した『婆藪槃豆法師伝』によれば、兄は病を装って、弟を故郷へ呼び寄せたという。兄のもとで大乗の教えを学ぶうちに、弟はその深さを知り、かつて大乗をそしった自分の舌を、切ろうとした。兄はそれを止めて、こう言ったと伝えられる。その舌で大乗をそしったのなら、これからは、その同じ舌で大乗を説けばよい、と。世親はその後、唯識をはじめとする多くの論書を著し、八十歳で世を去った。その教えは、のちに玄奘によって中国へ伝えられ、海を渡って、今も法相宗の大本山である興福寺に受け継がれている。北円堂の扉の奥で、兄と弟は、今日も静かに並んで立っている。