葛城の山なみの東のふもと、奈良県御所市に、葛城一言主神社がある。鳥居をくぐり、石段を上ると、境内に、ひときわ大きな銀杏の木がそびえている。推定樹齢は、およそ千二百年。幹のあちこちから、こぶのような気根が垂れ下がっていて、「乳銀杏」と呼ばれている。葉はまだ青く、境内が黄金色に染まるのは、晩秋のことだという。
祀られているのは、一言主大神。一言の願いなら聞き届けてくださる神として、地元では「いちごんさん」と呼ばれ、親しまれている。『古事記』の中で、この神が姿を見せるのは、雄略天皇の時代のことだ。
ある時、雄略天皇は、紅い紐をつけた青い衣を官人たちに着せて、葛城の山に登った。すると、向かいの尾根を、山の上へと登っていく一行があった。天皇の行列とそっくり同じで、装束も、従う人々の様子も、少しも違わない。天皇は人をやって問わせた。「この倭の国に、わたしのほかに王はいない。いま、そのように行くのは誰か」。返ってきたのは、天皇の言葉と、まったく同じ言葉だった。天皇は大いに怒って矢をつがえ、官人たちも皆、矢をつがえた。すると、向こうの一行も、皆、矢をつがえた。
何故、我々人間はいつもイライラしているのか?
何故、我々人間は他人に腹を立てるのか?
その裏には、 生物としての自己防衛本能が隠れている。
無視されたり、軽視されたり、迷惑をかけられたり、 つまり自分の存在意義を脅かされた時に、 怒りや、不満を抱く。
もちろん、生きていくのに、最低限の自己防衛本能は必要である。
しかし、現代の人間社会において、 過度な自己防衛本能は、人間関係をおかしくする。
まずは、自分で自分の存在意義を無条件で認めよう。
さすれば、イライラはどこか消え失せ、腹も立たなくなる。
天皇は重ねて言った。「ならば、名を名のれ。互いに名を告げてから、矢を放とう」。向こうから、答えが返ってきた。「先に問われたのは、わたしの方だ。だから、わたしが先に名のろう。わたしは、悪いことも一言、良いことも一言で言い放つ神、葛城の一言主の大神である」。天皇はかしこまり、「わが大神が、この世の姿でおいでになるとは、気づきませんでした」と申し上げると、自らの大刀と弓矢をはじめ、官人たちの衣も脱がせて、拝んで献った。大神は手を打ってそれを受け取り、天皇が帰る時には、山の端から長谷の山の入り口まで、見送ったという。境内の乳銀杏は、今日も、青い葉を風にそよがせている。秋が深まれば、その葉は黄金色に変わり、やがて石段を、静かに埋めていくのだろう。