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第 159 回

他人を指さす前に、自分自身を省みよう

奈良盆地のほぼまんなか、田原本町の八尾。国道から西へ少し入ると、朱の鳥居が見えてくる。木々の茂る参道を進んだ先にあるのが、鏡作神社。正しくは鏡作坐天照御魂神社といい、古くから、鏡を鋳造する神として、信仰されてきた社である。

祭神の一柱、石凝姥命は、鏡をつくる技が、神となった姿だと考えられている。社伝によれば、崇神天皇の時代、天照大神の御魂とする鏡をこの地で鋳造した際、まず試みに鋳た鏡が、この社の御神体として祀られているという。このあたりは、平安時代の辞書『和名抄』に「鏡作郷」と記された土地で、四世紀から五世紀にかけて、鏡作部と呼ばれる工人たちが住み、鏡をつくっていた。

境内には、鏡池と呼ばれる池がある。鏡をつくる工人たちは、ここで身を清め、つくった鏡を洗い清めたと伝わる。池のほとりには、江戸時代に池から出たといわれる鏡石が据えられていて、その面は、丸くくぼんでいる。鏡の面を研ぎ上げるときに、使われたものと考えられている。

人は中々自分を省みることをしない。

余計な自尊心が邪魔をするからだ。

省みる為には、下手な自尊心を捨てる勇気が必要である。

他人や周囲を指さす前に、自分自身を省みよう。

意外と自分に原因があることが多い。

自分を省みて最適な行動を取れば、 他人や周囲、そして自分の置かれている環境は驚くほど改善していく。

昔の鏡は、金属でつくられていた。使ううちに、その面は少しずつ曇っていき、映る姿も、ぼやけていく。江戸時代には、家々を回って、曇った鏡を研ぎ直す「鏡研ぎ」の職人がいたという。研ぎ上がった鏡には、ふたたび、くっきりと姿が映った。鏡作神社の拝殿をのぞくと、格子の奥の中央に、きらりと光る鏡が置かれている。磨かれた鏡は、何も語らない。ただ、その前に立つものを、ありのままに映している。

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