奈良盆地の西寄り、北葛城郡広陵町の三吉に、讃岐神社という小さな神社がある。平安時代の延喜式に名が記された古社と考えられ、境内には、周りの八つの村から奉納された石灯籠が残る。『竹取物語』の中で、竹取の翁は「さぬきのみやつこ」と呼ばれている。この辺りはかつて「散吉(さぬき)」と呼ばれたと伝わり、そのゆかりから、物語の舞台をこの地とする説がある。
物語の中で、翁は、光る竹の中に小さな女の子を見つけ、嫗とともに大切に育てる。三か月ほどで、女の子は輝くように美しい娘になった。やがて翁は、この世の人がそうするように、娘が誰かと結ばれることを願う。けれど、かぐや姫は首を縦にふらなかった。求婚に訪れた五人の貴公子には、それぞれ、この世で手に入れるのが難しい品を求め、誰ひとり、その品を持ち帰ることはできなかった。
同じ三吉には、竹取公園もある。園内には竹林があり、まっすぐに伸びた竹が、空へ向かって幾本も立ち並んでいる。風が渡るたびに、葉ずれの音が、さらさらと、林の奥へ流れていく。
自分の近しい人が、自分の希望や意思に 反する行動を取ることはよくある。
本来、他人であれば気にならないようなことであっても、 近しい人となれば話が変わる。
何故か不満を感じ、時には怒りすら覚える。
そこには、無意識的に、近しい人であるが故の依存や、執着、 そして近しい人をコントロールしようという意思が隠れている。
しかし、よく考えてみよう。
仮に、親や、子供、そして配偶者・パートナーなど近しい人であっても、 自分以外の個体という意味で、彼らもいわゆる『他人』である。
それぞれの自由と責任、そして考え方を持って生きている『他人』である。
他人を変えることを出来ないことを理解するなら、 近しい人も同様であることを自分の腑に落とそう。
自分以外は他人なのである。
物語の終わり、中秋の満月の夜に、かぐや姫は月の都へと帰っていく。竹林に立って見上げると、竹は一本一本、まっすぐに空へ伸びている。竹は、土の下で地下茎がつながっているのだという。それでも、地上に出た竹は、それぞれの高さで、それぞれに風を受けて、静かに揺れている。